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はじめました。

先日Twitterのタイムライン(TL)を見てふと思った。ツイートとは、独り言なのではないか。

 

Twitterの使い方は、人それぞれである。何気ない日常をツイートしている人もいれば、自分が面白いと思ったことばかりツイートしている人もいる。フォロワーを増やそうと、人の興味を引こうとするようなツイートをする人もいれば、誰に当てたものでもない愚痴をツイートしている人もいる。Twitterの使い方は千差万別であり、何をしようが勝手である。

 

Twitterの機能として、「いいね」という機能がある。これは、ツイートに対して共感したり、何か思うことがあったり、はたまた単なる既読感覚として押される不思議な機能である。私はツイートに対して「いいね」が押されたの数の多さを競っている者たちがいるということを知っている。今では廃れてしまった文化であるが、今もなお、押された数の多さを競うような思考を持っている化石のような人間がいてもおかしくはないと思っている。この「いいね」を押した人間は、ほぼ確実に「いいね」を押したツイートを見ていると言えるが、ツイートをした本人は、「いいね」を押した者へと必ずしも問いかけているわけではない。大多数は、別に誰に言ったわけでもないどうでも良い独り言なのである。

 

「いいね」を押した者はほぼ確実にそのツイートを見ていると言えると、先ほど述べた。たしかに見てはいるのであるが、ほとんどは心には留めていないと思う。「いいね」をしたツイート全てを受け止めている人は果たしているのだろうか。大半の人間は、そのツイートのことなど、少しすれば忘れ、話題に上ることがなければ、死ぬまで思い出すことはないと思う。ツイートが独り言でないのならば、必ず誰かの心には残り続けると思う。誰にあててもなく、誰も覚えていないツイートは独り言なのだ。ツイートとは、誰かが見ているようであり、誰も見ていないのである。Twitterとは独り言の塊である。

 

このブログも、所詮は独り言であり、「大きな独り言」というブログタイトルからかけ離れ、誰も見ていない「小さな独り言」なのである。この独り言をインターネットに残し、数年後見返してみると自分の黒歴史になるというのは、ブログのお約束である。だが、黒歴史になってもいいから自分の独り言を聞いてほしいのである。誰に聞いてほしいわけでもなく、誰に聞かれたいわけでもない独り言を聞いてほしいのだ。これもまた、僕の大きな独り言なのである。